滲む気持ちをここに。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日、3年半前の体重に戻りました。
といっても“ダイエット”という意味合いではなく、“体のメンテナンス”をしているという思いで体重を減らしていました。
“ダイエット”というと息がつまるような言葉に思えて、甘いものが好きで切羽詰まるような思いをしてまで体重を減らしたくない性分の私には“体のメンテナンス”といった方がしっくりとくるのです。
じっくりじっくり体と向き合ってみることは面白くて、ストレッチ1つにとっても「あぁ、ここが今伸びているんだなぁ」、「ここにセルライトがたまっているなぁ」とか体の様々な部分を確認することがあります。昔運動部に入っていたにも関わらず、今体と向き合う面白みを知りました。もしかしたら、“体と話す”ということなのかもしれません。
だからでしょうか、体重計に乗って表示を見たときに、「おかえりなさい」と心の中でつぶやいたのです。
ダイエットの認識でいたら出てこなかった言葉でした。
といっても“ダイエット”という意味合いではなく、“体のメンテナンス”をしているという思いで体重を減らしていました。
“ダイエット”というと息がつまるような言葉に思えて、甘いものが好きで切羽詰まるような思いをしてまで体重を減らしたくない性分の私には“体のメンテナンス”といった方がしっくりとくるのです。
じっくりじっくり体と向き合ってみることは面白くて、ストレッチ1つにとっても「あぁ、ここが今伸びているんだなぁ」、「ここにセルライトがたまっているなぁ」とか体の様々な部分を確認することがあります。昔運動部に入っていたにも関わらず、今体と向き合う面白みを知りました。もしかしたら、“体と話す”ということなのかもしれません。
だからでしょうか、体重計に乗って表示を見たときに、「おかえりなさい」と心の中でつぶやいたのです。
ダイエットの認識でいたら出てこなかった言葉でした。
ある日、会話越しに相手に嘘がつかれていることに気づいた。
嘘。
この言葉だけをとると、「裏切り」とか「汚い」と黒いイメージが浮かぶだろう。
しかし、その時の私は相手の嘘を黙って受け止めることにした。
嘘をこんなに穏やかに受け止めたのは久しぶりだった。
嘘のすべてを肯定するわけではない。
ついてはいけない嘘は、この世に山ほどある。
私は、もし恋人がいてその人が浮気をするならば、浮気をする前に「別れたい」と言ってほしい。
正直者というよりも、ただ偽られることをとても恐れている。
特に身近な人、それは恋愛に限らずに大切な人からの偽りを恐れている。
そんな私だから珍しいことだった。
その珍しいことは、ここ数ヶ月の生活によるものだ。
ある出来事から始まった生活。
無気力や空元気へと私の感情を変化させて、つらさより今まで自分が気づかなかった様々なことに気づかさせてくれた。
気づくことはもはや手遅れであることが多くて情けないものだったが、もう自分にはどうにもできなくとも心の中で気づいたことを整理を少しづつつけていった。
おかげで、今となっては神経が高ぶることも少なくなり、穏やかな感情の起伏をもたらしてくれている。
“成長”と呼べるようなそんなキラキラしたものではなく、地味なものだ。
だが、血と肉となって大切な栄養となった。
だからこそ、私によって苦しんだにも関わらず、それでも私を気遣う嘘だと気づくことができた。
そして、私に必要な栄養を与えてくれた。
かつて自分を苦しませた人間を気遣える相手。
嘘は、相手自身を守る鎧だったのかもしれない。
どちらにしてもこれ以上苦しませることはしたくないと、私は、“沈黙”を通すことにした。
相手を戒めることより、沈黙が相手のためになると考えた。
これも嘘の一種かもしれないが、せめてもの罪滅ぼしになればと思う。
数ヶ月の生活に感謝。
もちろん大切な人々にも。
******************************************************************
後日談:そして、この生活が鴻上尚史さんの「孤独と不安のレッスン」でおっしゃっていることだとも気づきました。
“体と心をゆるめると自分との対話が始まる”
嘘。
この言葉だけをとると、「裏切り」とか「汚い」と黒いイメージが浮かぶだろう。
しかし、その時の私は相手の嘘を黙って受け止めることにした。
嘘をこんなに穏やかに受け止めたのは久しぶりだった。
嘘のすべてを肯定するわけではない。
ついてはいけない嘘は、この世に山ほどある。
私は、もし恋人がいてその人が浮気をするならば、浮気をする前に「別れたい」と言ってほしい。
正直者というよりも、ただ偽られることをとても恐れている。
特に身近な人、それは恋愛に限らずに大切な人からの偽りを恐れている。
そんな私だから珍しいことだった。
その珍しいことは、ここ数ヶ月の生活によるものだ。
ある出来事から始まった生活。
無気力や空元気へと私の感情を変化させて、つらさより今まで自分が気づかなかった様々なことに気づかさせてくれた。
気づくことはもはや手遅れであることが多くて情けないものだったが、もう自分にはどうにもできなくとも心の中で気づいたことを整理を少しづつつけていった。
おかげで、今となっては神経が高ぶることも少なくなり、穏やかな感情の起伏をもたらしてくれている。
“成長”と呼べるようなそんなキラキラしたものではなく、地味なものだ。
だが、血と肉となって大切な栄養となった。
だからこそ、私によって苦しんだにも関わらず、それでも私を気遣う嘘だと気づくことができた。
そして、私に必要な栄養を与えてくれた。
かつて自分を苦しませた人間を気遣える相手。
嘘は、相手自身を守る鎧だったのかもしれない。
どちらにしてもこれ以上苦しませることはしたくないと、私は、“沈黙”を通すことにした。
相手を戒めることより、沈黙が相手のためになると考えた。
これも嘘の一種かもしれないが、せめてもの罪滅ぼしになればと思う。
数ヶ月の生活に感謝。
もちろん大切な人々にも。
******************************************************************
後日談:そして、この生活が鴻上尚史さんの「孤独と不安のレッスン」でおっしゃっていることだとも気づきました。
“体と心をゆるめると自分との対話が始まる”
sorry
Thank you
question
listen
think
understanding
talk
smiling
nano,cm
今日に感謝しよう
nano,cm
さて、夜道を歩こう
足元は照らされている
白くて雑多な部屋で、肌に色を乗せていく。
色を乗せているのに、乗せた色が見えない。
肌は化粧を落としているはずなのに、真っ白で色が見えない。
白くて日が入らない部屋のせいか?
鏡を見てぼうっと自分を見ていると、じわりと言葉が頭に浮かんだ。
「あぁ、私、今死んでいる」
決して生と死の死を指すのではない。
気持ちが今についていってないのだ。
体だけ。
気持ちはない。
それだけで今を立っている感覚がないなんて。
やる気の問題じゃなくて、今を理解していないだけ。
顔は、肌は正直だ。
色を乗せているのに、乗せた色が見えない。
肌は化粧を落としているはずなのに、真っ白で色が見えない。
白くて日が入らない部屋のせいか?
鏡を見てぼうっと自分を見ていると、じわりと言葉が頭に浮かんだ。
「あぁ、私、今死んでいる」
決して生と死の死を指すのではない。
気持ちが今についていってないのだ。
体だけ。
気持ちはない。
それだけで今を立っている感覚がないなんて。
やる気の問題じゃなくて、今を理解していないだけ。
顔は、肌は正直だ。